宗教は何故か何時も迷路の如しです。恰も救いの手を差し伸べているフリをしながら結局苦しむのは救いを求めている人自身です。何故そんな事に?少しこんがらがった図式を解きほぐして見ましょうか?
2012年7月24日火曜日
トーラーを読むと云う事
トーラーに接する場合に注意すべき点があるように思います。それは「創世記」がその題名を持つからと言って、それを鵜呑みにして、世界の始まりが書いてあると思ったら、貴方は原理主義や福音主義の餌食になり果てるのがオチです。古代の人が宗教に如何なる思いを込めて後代に伝え残そうとしたものがあったのかを考えてみた方が早いです。古代は古代なりにその前からの伝承を持ち、それらを元に利用して新たな主張を盛り込もうとしたと言うしかありません。新たな主張をする際にはは現代人好みの抽象的な言葉は使わずに皆の衆がよく知っている物語、言葉を使った方が解りやすいわけです。そう言う訳で、では具体的にどの部分にそのようなことが現れているかを見て行こうと思います。こう云うのも解釈的理解と言うべきでしょう。ただし、これから申し上げることは私の読み方です。トーラーは自立した私の、自立した貴方の読み方をのみ許します。トーラーは私の、貴方の挑戦を受け付けます。従属的な読み方を受付けません。他人の解釈は役に立ちません。必要ないのです。それぐらいの気持ちでトーラーには接しなさいよ!ということなんです!ここがトーラーの根源的なテーマでもある訳です。そこを踏まえますと、トーラーが何を目指しているかがスッキリ見えて来ますよ!
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