2012年7月26日木曜日

編集痕

宗教はいつの時代でもそうなのだろうか?苛烈な宗教改革の波を掻い潜って来てる様なのだ。それはユダヤ教とて同じ事だったのではないだろうか?どこでそれが解るだろうか?宗教改革はそれ迄の否定を込めている筈ですから文書的には従来の表現を殺さず生かさずの編集をしながらどのようにか新たな主張をしようかと編者は工夫してる筈でしょう。
その代表的な例として神名があります。神名はElohimやYHVH等いくつかの言い方で表れて特にElohimとYHVHは文法指標の数が一致しない等の錯綜があります。何故そうなのかは謎としか言いようがなないのですが、ひとつの推論としてトーラーの存在意義から考えて、これに合理的な説明をする事は狭い解釈に押込めかねないと考えます。即ち、Elohimの複数形は尊厳の複数だ等の説明はヨーロッパの言語事情を説明するために提出された概念で単なる思いつきと言うしかありません。/続く

2012年7月25日水曜日

トーラーの構造的捉え方

トーラーはかなりしっかりした構造を持っていて、読み手がそれを見逃すと忽ち時代錯誤な迷路に足をからめとられます。常に各所に構造を決めるキーワードを作り、それらの緊張関係を作っていますから、物語を平板な捉え方をすると、古代人の作った稚拙な作り話に終わってしまいます。先程のキーワードは幾つかのキーワードとも緊張関係を作っていますから、かなり立体的な構造物の如くになると思います。

閑話休題

これはオランダの考古学者エレンファンウォルデ女史の画像です。
女史の説がこれからの聖書学の狭い殻を破る起爆剤になるかもしれません。私は期待してます!
女史は創世記の最初にある天と地を創造した(Bara')と云うところを、古代セム語諸語を研究して、天と地を分けたと云う意味ではないかと提案したのです。確かに、この創造したと云う動詞は神を主語にしてだけ現れる。他に作る系の動詞は幾つかあるので、謎とされてきたのです。神が作るのだから動詞も違うのだ、と云う説明で今までゴマ化していた訳です。しかし、トーラーの書き方からして書かれた時の意味と時代が下った時点の意味が変わったとしてもおかしくはないので、女史の提案は唐突でもないと言えます。

2012年7月24日火曜日

トーラーを読むと云う事

トーラーに接する場合に注意すべき点があるように思います。それは「創世記」がその題名を持つからと言って、それを鵜呑みにして、世界の始まりが書いてあると思ったら、貴方は原理主義や福音主義の餌食になり果てるのがオチです。古代の人が宗教に如何なる思いを込めて後代に伝え残そうとしたものがあったのかを考えてみた方が早いです。古代は古代なりにその前からの伝承を持ち、それらを元に利用して新たな主張を盛り込もうとしたと言うしかありません。新たな主張をする際にはは現代人好みの抽象的な言葉は使わずに皆の衆がよく知っている物語、言葉を使った方が解りやすいわけです。そう言う訳で、では具体的にどの部分にそのようなことが現れているかを見て行こうと思います。こう云うのも解釈的理解と言うべきでしょう。ただし、これから申し上げることは私の読み方です。トーラーは自立した私の、自立した貴方の読み方をのみ許します。トーラーは私の、貴方の挑戦を受け付けます。従属的な読み方を受付けません。他人の解釈は役に立ちません。必要ないのです。それぐらいの気持ちでトーラーには接しなさいよ!ということなんです!ここがトーラーの根源的なテーマでもある訳です。そこを踏まえますと、トーラーが何を目指しているかがスッキリ見えて来ますよ!

2012年7月23日月曜日

兄弟でも何でもありませんから!

私達はユダヤ教の聖典「トーラー」をキリスト教徒の言い方に倣い、旧約聖書=old testamentなどと呼び捨て、宗教の剽窃を働き、概ねゴミ箱に放る手順を取っているに等しいにも拘らず、イエスの出現をそのトーラーが予言していたなどと恰もその正統性を主張するという矛盾を臆面もなく曝け出しているのです。 新約、旧約などとも最早言う必要はありません。新約聖書なんて言うのも止めたらどうですか?旧約なんて言い方が失礼じゃないですか!?個人の伝記としてイエス伝とでも呼び変えて下さい。ご自由にどうぞ!
袂はとっくに分かっているのに未だユダヤ教に未練があるんですか?どなたか?兄弟と仰いましたが一方的にそんな風に言われても…兄弟でも何でもありませんから!今は縁を切ったアカの他人ですから!