人は自らのことを直接人に則して直接的に考えれば良いものを、どうもそうは行かないらしいのだ。一つは神を介してもう一つは歴史を介して、更に文学を介して考えて来た経緯もあった。勿論直接的な人間関係を介してでもそうだし、何れにしても何か媒介物があった方がと言うかなければと言った方が良いのか理解するためには良いらしいのだ。ただ、媒介物というのは理解のための手段としてあったのであって、中にはとても実体と言える様なものではないものも混ざっている場合があった訳です。それは太古の人が実体的に考えていた可能性がありそれらを疑問に思ったり否定したりして、更には視点を変更する方にシフトしなければならない場面に遭遇したこともあったでしょう。又、そう言った種類の事なんだけど一寸、正確にはこういう事なんだよと仲間に伝えたかった事もあったのではないだろうか?!
人は有機体ですから、各器官が巧みにお互いの役割を補完しながら全体を構成し、各器官も生きているという力学バランスを形作っています。どの器官を取り出して見る事も出来ますが単なる寄せ集めではない、他の器官を生かす為にその器官が存在するという様に存在しているのです。
何れにしても、各器官をバラバラにして並べてみても、役に立たないスクラップでしかありません。真髄を取り出すことができるものなら、そうして真理に近づく事もできるでしょうが、それも出来ないので宗教という形を取ったのかとも思います。こういう事は科学的に証明のしようがないというのが正直なところです。
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